家族でバリ島移住を決断するにあたりリサーチした4つのポイント

ライター: 有本圭(KEI ARIMOTO)

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バリ島移住

インドネシア バリ島との出会い

サーフトリップで初めてバリ島を訪れた1997年頃、毎日のように素晴らしい波があり、空は青く、海は透き通り、人々はおおらかで、食事も美味しい。ついでに物価も安いときたもんだ。こんな天国のような場所が地球上にあったのか。その当時、世界中を旅していた私にとって衝撃的なインパクトであった。いつかは海外で暮らしてみたいという思いを胸に抱いていた私にとって、バリ島は常に移住候補地の一つに上がっていた。

いよいよ本格的に海外移住を決意

2011年、娘が生まれたことをきっかけに、いよいよ海外移住を実現しようと準備を進めていた。候補地はハワイ、オーストラリア、バリ。ハワイは移住先としては理想的であったが、物価が高く、治安面での心配があった。オーストラリアについては物価面とアジア人に対する人種差別が気になった。一方バリは物価や治安、人種差別には問題がなかったが、医療や教育などインフラ面に不安があった。

いずれの候補地も一長一短。どこに転がってもおかしくないという状況の中、たまたま撮影の仕事でバリを訪れる機会があった。これも何かの縁なのかもしれない、そう思った私は事前に色々と情報を集め、撮影の合間に移住に向けてのリサーチをすることにしたのだった。1.教育2.医療3.衛生4.物価面と4つのポイントに分けてご説明しよう。

1.教育面

まずは最も気になったのが娘の学校のこと。これをクリアしない限り、移住はありえない。まずは目星をつけた学校を見て回ることにした。外国人が通えるインターナショナルスクールやナショナルクラスの選択肢もあり、どこも魅力的な教育方針を打ち出していた。環境面で素晴らしい学校もいくつかあり、日本ではできないような体験が待っているように思えた。英語だけでなく、インドネシア語や中国語を教える学校もあった。インドネシア人、白人、アジア人がクラスに混ざっていることも魅力的であった。こういう環境で育った子たちは人種の壁など簡単に超えていけるのだろうと思えたのだ。

そしてもう一つ特筆すべき点は日本人補習校の存在だ。補習校では幼稚園から高校まで(当時は中学までだった)プログラムが組まれており、国語、算数、社会の授業を中心に日本人としてのベースになる知識を得ることができる。補習校の存在はバリ移住を後押ししてくれる大きな要素となった。学校に関する心配がなくなったことで、バリ島移住が一気に現実味を帯びていったのだ。

2.医療面

中心地に日本人のスタッフを常駐させている病院が3つほど見つかった。どれも専門的な病院ではなかったが、基本的な対応には問題がなさそうだった。重病や難病にかかった場合の対応には不安が残ったが、それを想定しなくてはならないような健康状態ではなかった。万が一重篤な事態に陥った場合、緊急時はシンガポールへ、そうでない場合は日本に搬送されるというスキームが組まれていた。医療レベルについては日本とは大きな隔たりがあったが、家族ともども健康体だったため、一応合格点は与えられた。

3.衛生面

バリ島移住

世界一衛生的な国で育った我々にとっては無視できない問題だ。若かりし頃から世界を旅して回っている私はあまり気にならないのだが、家族での移住の場合はそうは言っていられない。見てまわった結果、バリの衛生面は決して安全とは言い切れない。細かい部分に配慮する日本とは比較にならない。しかし衛生面に関して言えば、本人が気をつけていれば対応できるものなので、安心とは言えないまでも本人次第ということで妻を言いくるめることにした。

4.物価

バリ島移住

バリ島に移住するに際して、最もメリットを感じた部分だった。日本の物価に比べるとかなり安いと感じられた。家賃に関しても月に10万円も支払えば、プール付きの豪邸を借りることができた。これには心がときめいた。日本ではマンション暮らしだったが、いきなり豪邸で暮らすことができるかもしれない。夢のまた夢と思っていたような暮らしが突然目の前に現れるかもしれないのだ。この時点で私は熱病に犯されるように、バリ島移住を決意してしまった。

移住を決意するきっかけは人それぞれ

移住を決意するきっかけは人それぞれ様々であろう。私の場合は、教育面物価面が最後に背中を押してくれた。そしてやはり何と言っても、年間を通して温暖な気候と、コンスタントにサーフィンができる世界屈指の波のクオリティというのが最大の要因だったことは言うまでもない。

次回は家族での海外移住をいかにアジャストさせていったかについて書いてみようと思う。下見すらせず、初めてのバリ島が移住だったという妻にとってはなかなかハードルが高かったようなのです。

関連記事:家族で湘南から『バリ島移住』するまでの経緯と移住から5年が経って



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この記事を書いたライター

有本圭(KEI ARIMOTO)

有本圭(ありもと けい)
バリ島在住のフリーライター。2000年よりプロロングボーダーとしてコンテストで活躍する傍ら、旅行会社からのサポートを受けながらサーフボードと抱えて世界中を旅してまわる。プロツアーを引退した後、経営者としてのキャリアを経て、2012年に家族とともにバリ島へ移住。現在、ライターとしてサーフィンの魅力を伝えていくことに加え、ライフスタイル、バリのカルチャー、環境問題、家族、仕事などをテーマに幅広く執筆活動に励んでいる。
・Instagram→@keiarimoto
・Blog→sw-players.com/