『エディ・アイカウの生涯とハワイの歴史』アートカルチャー展開催!クライド・アイカウ & 脇田貴之のメッセージ映像
ライター: WAVAL
阪急百貨うめだ本店にて7/7〜7/12
阪急百貨店うめだ本店にて7/7〜7/12 ハワイフェアが開かれ、その中でハワイの英雄 エディ・アイカウの展示と彼にまつわるアートカルチャー展が開催される。会場ではエディの使用品やサーフボード、写真などが日本初登場。
ハワイの英雄 エディ・アイカウとは
エドワード・ライアン・アイカウ(Edward Ryan Aikau , 1946年5月4日 – 1978年3月17日)は、1946年、ハワイ マウイ島で生まれる。22歳の時、ワイメア・ベイでオアフ島ノースショア初のライフガードとなった。その間、ひとりの命も失うこと無く500人以上の人々を救う。1977年には『デューク・カハナモク・サーフィン・チャンピオンシップ』で優勝し、ビッグウェイブサーファーとして国際的な名誉を得る。1978年、エディは60フィートのポリネシア双胴カヌー、ホクレア号の乗組員に志願し、ハワイとタヒチ間4000km,30日間の航海へ。その際、モロカイ島約19km付近でカヌーは大きな荒波にあおられ転覆。エディは仲間を守るため、助けを求めて果敢にサーフボードをパドリングしてラナイ島へ向かった。しかしそれが彼が目撃された最後の姿となった。
エディの意志を継ぐため、1985年に『エディ・アイカウ・メモリアル・サーフィン・インビテーショナル・コンテスト』が設立。ワイメアベイで、波の高さが最低14mに達した時にのみ開催され、トップ28人のビッグウェイバーだけを招待している。
“EDDIE WOULD GO “(エディなら行くぜ)は、波が大きく危険だった1回目のコンテストでマーク・フーガ行った言葉。エディの救助活動に対する積極的な姿勢と、大波に挑む勇気を表す象徴の言葉としてハワイアンの心に生き続けている。
1978年に他界したエディ・アイカウの弟 クライド・アイカウ(Clyde Aikau)と、エディを称えるビッグウェイブコンテスト『エディ・アイカウ メモリアル』に2007年2008年シーズンから11年間インバイトされているプロサーファー 脇田貴之氏によるメッセージ映像をどうぞ!
脇田貴之氏「この機会にハワイ、ハワイアン、エディ・アイカウの歴史が伝わればと思います。」
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