【78歳で天国へ旅立ったベン・アイパ】スワローテールやスティンガーを生み出したレジェンドシェイパーとの思い出

ライター: ドジ井坂

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ベン・アイパ サーフィン
ベン・アイパ & ドジ井坂 @1970年ベルズビーチ

こんにちは、ドジ井坂です(『ドジ井坂』ドジと呼ばれて50数年、この名前の由来とは)。2021年1月15日にスワローテールスティンガーなどのシェイプデザインを生み出した事で有名な、ハワイのレジェンドシェイパーでありレジェンドサーファーのBen Aipa(ベン・アイパ) が永眠された(享年78歳)。

ベンは1970年にAipa Surfboardsを立ち上げ、その後スワローテールやスティンガーを生み出した。サーフコーチとしてもアンディ・アイアンズ&ブルース・アイアンズ、カラニ・ロブ、サニー・ガルシア、ブラッド・ガーラック、べサニー・ハミルトンなどトップサーファーの指導者として活躍していた。今回は20歳を過ぎてからサーフィンを始め、英才教育とは真逆の努力の人であったベンとのエピソードをご紹介します。

 

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ベンと受けたAUS TVスタジオでのインタビュー

ベンは丸い大型爆弾のような小太りの身体で、それでいて軽快なサーフィンする。僕がベンと親しくなったのは、1970年5月オーストラリア メルボルンのベルズビーチの世界選手権に日本人として初参戦したときのことだ。

ベン・アイパ サーフィン

私はアーニー・タナカのライダーでもあったハワイチームのポール・ストローチと、その友人だったベン・アイパと3人でオーストラリアに向かった。メルボルン空港に到着するや、大会関係者に誘導され、ベンと僕はTV局のスタジオに向かった。打ち合わせも無くスタジオに入りインタビューを受けた。ベンがハワイの代表として世界選手権についてコメント。続いて僕がインタビューをうける。

ドジ井坂 & ベン・アイパ
ベン・アイパ サーフィン

初めてのアジア人そして日本の代表と紹介されたのは聞き取れた。ハワイやカリフォルニアの英語には慣れていたが、強烈なオージーなまりのテレビ司会者の次の質問がよくわからない。無我夢中で僕は質問とは異なる自分の世界選手権への思いの丈を話していた。

司会者の質問とは的外れの答えを僕が繰り返しているのをベンが助けに入ってくれた。それからベンは僕のことを心配してか、僕に付き添いサポートをくれるようになった。

ベン・アイパ、ポール・ストローチ、ドジ井坂 @ベルズビーチベン・アイパ サーフィン

ベン・アイパ、ポール・ストローチ@ベルズビーチベン・アイパ サーフィン

20歳過ぎてからサーフィンを開始。英才教育とは真逆の努力の人

僕はベンにサーファーなら誰もがするいろいろな質問をぶつけた。どこの代表も、子供の頃からサーフィンが出来る環境があって羨ましかった。僕は高校卒業後にサーフィンを本格的に始めたので、どうしたらサーフィンが上手くなるだろうか・・・。

7つ先輩のベンの答えは意外だった。ベンはアメリカンフットボールのセミプロチームのバックスとしてプレイしていたが、怪我でリタイアしたことで20歳を過ぎてサーフィンを始めた。「サーフィンを始めたのは、今のドジの年の頃だよ、だからこれから君はまだまだ上手くなるよ。」

英才教育とは真逆の努力の人なのだ。ベンの言葉は一生忘れない。僕は中高バスケットボール部キャプテンなのに、アメリカンフットボールもやりたくて、文化祭でアメリカンフットボール研究会なるものを開催して顧問に叱られたくらいフットボールも好きだった。だからベンにフットボールの話を聴きたかったが、ベンは過去の事をあまり語ってくれなかった。しかし、サーフィンの話はつきなかった。サーフィンを論理的に分析するノウハウを色々教えてくれた。

ある日の夕方、あの大きな身体を小さくして息子(アキラ・アイパ)が生まれたと嬉しそうに僕に言った。そしてベルズビーチの世界選手権は、ラルフ・アーネスの優勝で閉幕した。

ベン・アイパ サーフィン

ベンと楽しんだサーフィボードシェイプ談議

同年の冬僕はノースショアで開催されたスミロノフプロアマ世界大会に招待されハワイへ向かった。日本に戻り試行錯誤してシェイプボードを持参したが、情報不足もあり世界の流れとは違うデザインになっていた。そこでハワイ大学近くの友人の雑貨店のガレージのシェイプルームに借りて、新しいボードをシェイプすることにした。ノースショアに集まる世界中のサーファーの情報を収集し、新しいアイデアを取り入れたサーフボードをシェイプしようと思ったが、そこへベンが飛んで来てくれた。

当時のビッグウエイブのサーフボードはピンテールが主流で、テールデザインの話になり、ブランクスの切れ端でテールデザインを2人でシェイプしていた時に生まれたアイディアがスワローテールの原型だった。

ベン・アイパ サーフィン

サーフボードのフィンを限界まで小さく出来るか話したことがある。数日後、ベンは今のサイドフィンの一番小さなサイズをショートボードにセットして、テールスライドやスピンサーフィンをやってのけた。あの大きな身体でトリッキーなサーフィンも上手いのだ。ベンにサーフボードの浮力の話をすると、あんまり浮力は関係ないね、と笑う。大きな身体のベンが言うのだから説得力がある。こんなデザインはどうだろうか、いや俺ならここはデザインを変えるね。それなら、別のアイディアは・・・。と、よく2人でシェイプのデザインのひそひそ話を楽しんだ。

2年後の1972年、サンディエゴのオーシャンサイドで開催された世界選手権で、ベンのシェイプしたスワローテールのラリー・バートルマンやマイケル・ホーが活躍し、アクロバティックなサーフィンが注目され、世界的なヒットとなった。

ベンにジャパンチームの川井幹雄出川三千男を紹介した。ベンが大きな身体を小さくして「ドジ良かったね。今回は1人じゃないね、3人のチームだね。」と言って笑った。

それから冬になるとハワイに行き、ベンと会い必ずサーフィボードのシェイプの話を楽しんだ。数年後、ボードの長さを短くするアイディアとして、テンプレート(アウトラインの型)で遊んでいてスティンガーのアイディアが生まれた。

ベンは天国へ旅立った

ベンとは1980年代まで交流があった。しかし日本でビーチクラブの活動を始めた僕は、日本航空の仕事の打ち合わせ以外ハワイにいくことはなくなり、不義理になりあっという間に30年が過ぎてしまった。

ベンの容態が良くないことを昨年の秋に知った。
直接会話は難しいと聞いた。

2021年1月15日、アルツハイマーと脳卒中の合併症による長い闘病生活の末、78歳でベンは天国へ旅立った。
もう一度サーフィンの話をシェイプの話をしたかったね。
ベン rest in peace

ドジ井坂 ダイナミックバランスサーフィン:beachschool.com



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この記事を書いたライター

ドジ井坂

ドジ井坂

ドジ井坂です。 全日本プロサーフィン選手権初代チャンピオン。日本人初の世界選手権出場、シェイパーとしても活躍し、1968年から世界のサーフィンを実体験し、40年以上にわたる指導経験から、入門書など多数。そのサーフィン基礎理論は、身体の動作研究にも及び、海のスポーツ特有の理論研究とそのトレーニング用具開発に進化している。

東京オリンピックに向け、サーフィンのトレーニングにスケートボードも導入し、日本人に適した動作感覚とバランスのシュミレーショントレーニング「ドジ井坂ジャパンメソッド」の普及活動を始めた。

もっと気軽にビーチを通年活用していくためのコミュニティ活動「ビーチクラブ構想」を国土交通省支援の下に立ち上げ全国13箇所で展開、一般社団法人ビーチクラブ全国ネットワーク理事長。海岸の様々な利活用に関する神奈川県や千葉県、地方自治体の委員を歴任。海や海岸のジャンルをも飛び出してしまう超マルチな活動を今も精力的に展開。1948年神奈川県茅ケ崎市生まれ。の今は「海オヤジ」。 ドジ井坂が開講するトレーニング講座はこちら!お気軽にお問い合わせ下さい→beachschool