おとなサーファーがプロサーファーになるまでの道のり
ライター: 神田愛子
近年サーフィン界で活躍しているのは親がサーファーだった2世サーファー。物心がつく前から海に慣れ親しみ、スポンジに水がすっと吸い込まれるように体でその動きを覚えていく…幼少期から身につけた身体能力は目を見張るものがあります。JPSAも年々若いプロサーファーが増え、2016年に最年少グランドチャンピオンに輝いた川合美乃里さん(当時15歳)は記憶に新しいですね。そんな彼女は小2でサーフィンを始め記憶にはないそうですが、テイクオフもドルフィンスルーもすぐにできたんだとか。すばらしい!
さてさて、そうは言っても世の中そんな恵まれた2世サーファーだけではありません。おとなだってサーフィンを楽しみたいんだー!上達したいんだー!って思いますよね。私もその1人でした。今回は自己紹介も兼ねて私、神田愛子がサーフィンに出会いプロ資格を取得するに至った道のりをご紹介します。
おとなサーファーがプロになるまでの道のり
・サーフィンの難しさ..浮いてるのがやっとで海に浮かぶゴミ寸前の自分—
私神田愛子は26歳でサーフィンに出会います。当時勤めていたラジオ局の番組でサーフショップへ取材に行き、スクールに誘われ体験したのがきっかけでした。
私は学生時代に走高跳びの選手で全国大会出場経験もありスポーツには多少自信がありましたが、サーフィンは全く別物でした。まずパドル姿勢がとれない。沖まで行けない。ふわふわと浮いてるのがやっとで海に浮かぶゴミ寸前の自分。周りの人の迷惑にしかなっていない自分。出来なさすぎる事で余計に火が付きました。「絶対に上手くなる」と。
それからはとにかく海に入る。波がある日は仕事前に必ず行ってました。私は日本海側の福井県在住なので夏季は波のない日が多く1ヶ月全くサーフィンできない日が続くことも。そんな時は波がなくても海に入ってました 笑
・サーフィンライフを大きく変えた『おいでんガールズカップ』—
そして、先輩にサーフトリップがてら誘われた『おいでんガールズカップ』で私のサーフィンライフは大きく変わることとなります(人生を大きく変えたおいでんガールズカップ2004)。サーフィンを初めて2ヶ月ほどで大会に挑んだ私。12分で上手く波をキャッチすることなんてできるわけもなく、右往左往。終了10秒前のカウントダウンが始まったころに産まれたての小鹿のようにふわっと立ち上がり少し耐えてコケました。
ですがたまたま3人ヒートだったこと、ノーライドの子がいた事などラッキーが重なり奇跡のラウンドアップを果たします。・・・が、奇跡は2度起きることはなく、ラウンド2で敗退。それでも私が大会にハマるには充分でした。
私の地元はメインシーズンが冬なので寒い海に浮かんでる物好きの女子はそうそういませんでしたから、キラキラのお日様の元サーフィンが上手い女の子達がまぶしくて仕方ありませんでした。そんな中、私を大会に誘ってくれた先輩はスペシャルクラスのファイナリストとなり3位入賞。カッコよすぎるその姿を見て私は心に誓いました。「私もいつかスペシャルクラスで表彰台に上るのだ」と。
・初出場の『おいでんガールズカップ』から10年後—
そして実際私がその大会のスペシャルクラス表彰台に上ったのは10年後。お世辞にもいい環境とは言えない中でやってきたので、ながーーーーーーい歳月がかかりました。私の憧れの先輩は間もなくハワイに嫁に行ってしまった為、一番身近な目標も失いだいぶ遠回りしたかもしれません。(みなさんも是非参加してみてはいかがでしょう?おいでんガールズカップ)
・表彰式 ︎おいでんガールズカップ2014
プロサーファーになるために、1番大切にした心がけ
そんなこんなで日本海側で初の女性プロサーファーに。その地道な道のりを綴るのはキリがないので、私がプロサーファーになるために心掛けてきた1番大切だと思った事を書きます。
それは「1つ上のレベルを目指すこと」
ビギナーからオープン、オープンからスペシャル、スペシャルからプロ資格、そしてプロサーファー。
私は常に1つ上のクラスで戦っていました。苦しかったです。だって勝てません。達してないところに挑戦しているのだから。だから輝かしい経歴もありません。でもだからこそ常に考えるのです。1つ上のレベルにいくには何が足りないのか?考え、見つけ、補う努力をする。1つクリアできたら、次はもっともっと高い壁があります。常に苦しい。でもそうやって私はビギナーからスペシャルクラスの表彰台に上り、その年プロ資格を得ました。
そして今はもっともっと苦しいです。私は2年前JPSAアマチュアランキング3位に入りプロ資格を取りました。しかし、「正直自分はプロの実力に達していない。」自分も思いましたし、そう思った人も多かったと思います。でもこれが私のスタイルでここで苦しみながらプロだと言われるようになるのです。
2016年度JPSAランキング15位でフィニッシュ。プロとして足りないものは何か?勝つために足りないものはなにか?今はアプローチは変えて考え中。考えながら私は自分の思い描くプロサーファーに近づきたいと思います。アラフォーですが、日々成長中。また2016年はJPSAプロツアーにおいて、今話題のabemaTVヨコノリチャンネルアシスタントMCも経験させて頂きました…これを読んでくれたサーファーの皆さんが少しでも目標に近づけますように。
次回は、苦節10年!遠回りして成長した演歌歌手のような私が、遠回りせずに成長できる「女性サーファーのサーフィン上達のコツ」なんかを書いていけたらと思います。
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この記事を書いたライター
神田愛子
福井県出身 日本海側初の女性プロサーファー
26歳でサーフィンに出会う。サーフィンのメインシーズンは雪が舞い散る冬で、波のない時期は太平洋側に移動し練習という環境の中、四苦八苦しながらJPSAプロ公認資格を取得。吹雪サーフィンと移動距離の長さには自信ありの遅咲きすぎる異色のプロサーファー。2016年度JPSAプロツアーabemaTVヨコノリチャンネルアシスタントMC担当
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