【ラビット・ケカイ95年の人生】ワイキキ最後のビーチボーイズ
ライター: Mg
2016年現地時間5月13日の朝、ホノルルの病院で95歳で亡くなった、ワイキキのビーチボーイズとして名を馳せた最後の生き残りラビット・ケカイ。サーフィンの先駆けとして5歳で始めた当時は1920年代。サーフィンの技術、そしてカヌーで、あのサーフィンの父と呼ばれたデューク・カハナモクに肩を並べると言われた腕前でした。その後長年にわたり持てる技術や知識を惜しみなくシェアし現代のサーフィンに多大な貢献をしてきました。もしかするとこれを読んでいる方の中にはワイキキで直接サーフィンのレッスンを受けたことのある方もいらっしゃるかもしれません。1930年から40年の間は、最高に優れた実績を持つサーファーとの名誉を受け1955年にはマカハ・インターナショナルで優勝されています。
ニックネーム、ラビットの意味は読んで字のごとくで「うさぎ」です。意外にもサーフィンとの関連ではなく、高校時代オアフ島で一番速いランナーだったという足の速さが理由となっていました。
5年前90才を迎えた際のバースデーパーティの際に「長寿の秘訣は、クリーンでヘルシーな生活、そしてたくさん笑うこと」だと語り「90年間のトラブル、皆さんに感謝します。人生のほとんどがトラブル、だから皆わたしのことを”Kolohe(ハワイ語でやんちゃという意味)”と呼ぶのです」とさすが時代をけん引していったビーチボーイズらしく一筋縄ではいかないスパイスの効いた挨拶をされていました。
95年のその人生のほとんどをサーファーであり続けたラビット・ケカイは、サーフィンを世に知らしめた1人としてサーフィン界に偉大な功績を残したレジェンド。彼の肉体は消えようとも、精神は永遠であり続けることでしょう。彼が愛したサーフィンが時代を超え国を超えてここに届き、そして続いていくように。
Surfing in Heaven …… Rabbit Kekai
R.I.P.
記事参考元:Myハワイ
"Catch The Funwave!" - WAVAL(ウェイバル)
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この記事を書いたライター
Mg
海の街に暮らしています。 海をベースに、人と自然の交わるところで日常がより良くなるような情報を発信していきます。