映画BlueCrushをキッカケにキャリアを捨てプロサーファーとなった中国人サーファーMonica Guoのライフストーリー
ライター: Miki
海とは縁遠い中国の陽朔で生まれ育ったMonica Guo
サーフィンを始めたきっかけや環境は人それぞれ異なりますが、プロと呼ばれるサーファーがいない国、サーフワックスを買えるショップすらない場所からサーフィンを始める、そんな勇気を持った1人の女性サーファーがいました。安定したキャリアを捨て、プロサーファーになる、周りからはクレイジーと言われるような彼女の行動が次第に大きな影響を与えることになったのです。海からも遠い中国の陽朔(ヤンショウ)で生まれ育ったMonica Guo 。そこは山や川に囲まれている場所で、幼い頃は海とは全く縁がなかったと言います。
・中国の陽朔(ヤンショウ)
ある日学校で起こった出来事がMonicaの人生を劇的に変えることになりました。学校で観たサーフィン映画”Blue Crush”に感動しサーフィンを通して強くたくましく生きる女性に憧れ、香港の海へ行きサーフボードを借りて初めて波に乗りました。
その時のことを彼女はこう語ります、「サーフィンは私にとって特別なものになったわ。ロングボードってとても優雅で、美しく、波に乗ってるとそれを体全体で表現できるの。私にとって波に乗ることはごく自然ですごく自由になれた気がした。」
それからの生活は一変。お洒落やメイクも好きだったシティーガールがそんなことも一切気にしないサーフガールに、2009年Monicaは仕事を辞め中国でも波のある海南に移りました。周りは彼女の行動に驚かされ、両親そして中国社会の中ではよく受け入れられませんでした。
「私の家族は仕事を辞めてサーファーになることをとても反対したわ。肌は黒くなって誰も結婚してくれないってね。中国では肌が黒いと労働者階級と見なされサーフィンというスポーツ自体があまり受け入れられていなかった。それに加えて中国の人々は海を怖がるの。海はモンスターみたいだって。」
そんな批判に負けずMonicaはプロサーファーへになる夢を決して諦めませんでした。そして徐々に中国人女性サーファーとしての注目を浴びていくのです。2013年、彼女は国内最大の大会で優勝しその姿を見た両親はサーフィンを通して彼女が変わってきていることに気づきました。そして彼女の成功は国全体にまで影響を及ぼし2020年のオリンピックへ向けてサーフィンの強化チームを作るまでに。
「国から認められサポートしてもらえることはとても力強いわ。そのお陰でコーチングや海外の試合に参加したり、数え切れないほどの機会を与えてもらえるから。」
そんな彼女にとって何よりも一番嬉しいことは、肌が黒くなって結婚出来なくなると彼女に反対していた父が今では年に数回彼女のいる海南を訪れ共にサーフィンをし笑いあっていることです。彼女は”Don’t be afraid, don’t be afraid to change 変化を恐れないで“を人生のモットーに今日もどこかでサーフィンを楽しんでいます。
記事参考元:SHE DROPPED EVERYTHING TO BECOME A SURFER
"Catch The Funwave!" - WAVAL(ウェイバル)
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この記事を書いたライター
Miki
元外資系客室乗務員、中東に住みながら世界50カ国以上飛び回る生活を送る中、バリでサーフィンに出会い人生激変。海の近くに住み毎日サーフィンが出来る環境を求めて現在はオーストラリアに住んでいます。
・Instagram→ @eatmore.gelato