「海の環境問題とサーファーの発言力」サーフィンと、海の環境と、開発の問題について
ライター: NAMINORI TOM
【Index】
1.海の環境に最も敏感なサーファー
2.アウトローと捉えられてきたサーファーの意見
3.変わりつつある?サーファーの社会的地位
– SFJビーチクリーンキャンペーン
– パドルアウト・デモ
4.サーフィンから自然を学ぶ僕たち
5.手遅れになる前に5.手遅れになる前に
今回はサーフィンと、海の環境と、開発の問題について。ちょっと違った切り口でお話ししてみたい。
1.海の環境に最も敏感なサーファー
ぼくたちサーファーは、どこに住んでいようが、心はいつも海の近くにある。ゆえに海の環境の変化には敏感だし、開発の問題には強い関心を持っている。海に浸かっていれば、すぐ横を魚の群れがかすめ通り、スナメリやエイたちが寄ってくる。冬の晴天には透きとおったエメラレドグリーンの海が、ボトムのリーフを目が痛いほど鮮やかに映す。自然の素晴らしさを体を持って体感している。
だから、ポイントの消滅や、環境の大きな悪化が予期される開発のプロジェクトなどの話が持ち上がると、誰もが心を痛め、反発を覚える。「海の生態系を変える開発はNo!」「海の環境を守ろう!」
開発プロジェクトの中には、意義が薄いもの、開発の効果と海の環境を変えることのバランスが保たれていない計画もある。そんな時こそ、海に暮らすサーファーたちの声が大切なはずだ。…と思いたい。
2.アウトローと捉えられてきたサーファーの意見
しかしそんなサーファーたちの声が、まともに取り合われたことはあまりない。鴨川の赤堤や阿字ヶ浦の消滅は典型的だった。世の中的には、波乗りよりも、人々の営みや生活、安全を守ることの方が優先されるからだ。
波乗りの先輩がボソッとつぶやいた。「サーファーのいうことなんぞ、誰も聴きやしねぇぞ。地元にも貢献しないで、サーフィン道楽してる連中なんざ、無責任の骨頂だ。」その言葉がいつも胸をつく。そう、サーファーのいうことなんて誰も聞いてくれない。ぼくたちは社会になんの付加価値も生んでいない。特に自分を含めた、ビジターサーファーは。ポイントが消滅するような開発には「自然に人間の開発の手を入れるな!」などといいながら、サンドバーができる堤防の建設には「波がよくなるかも?!」などと期待する。まことに身勝手。私も恥ずかしながらその一人だ。
サーフィンの歴史は、反社会、または脱社会的なカルチャーの中で育ってきた。映画「ビッグウェンズデー」では兵役忌避が描かれ、’Cosmetic children’のようなフィルムでは、ジャンクでヒッピーな退廃的なサーフカルチャーが描かれている。日本でも、サーファーといえば、ロクに仕事もしないで、ビーチで女をはべらし、たむろする輩。社会的地位が低い輩の集団。そんな風に思われてきた節がある。脱社会的なサーフカルチャーは、個人的には社会へのアンチテーゼとして大切だと思う。だが、それを一般の人や行政にわかってくれ、というのにはムリある。アウトローと捉えられてきた「サーファー」の意見など、誰も聞いてくれないのだ。
3.変わりつつある?サーファーの社会的地位
しかし時が経って、少しづつ僕たちな見られ方は変わってきたのではないかと思う。環境・社会問題への意識の高まりの中で、地道なビーチクリーン活動や、ローカルサーファー による地元コミュニティとの対話は、サーファーの社会的な意義を少しづつ示すことにつながった。サーフィンの社会への浸透は、社会的地位や発言力のある人たちをサーファーコミニュティに取り込んでいった。
・ビーチでゴミを拾ってキャンペーン参加!ワンハンドビーチクリーンアップキャンペーンがスタート!
そしてついにサーフィンがオリンピック競技となることで、スポーツの表舞台に立つこととなった。国際的にも海に最も近いサーファーの声を社会に届けようとする動きが高まっている。サーフライダーズファウンデーションは、そのムーブメントにイニシアチブを発揮してきた。パタゴニアはそのスタイルと製品を通じて、サーファーに問題意識を提起してきた。
先日オーストラリアの資源開発が海の環境を壊すものだとしてサーファーらしい抗議行動が行われたことが話題になった「パドルアウト・デモ」。
千人単位のサーファーがビーチに集まり、沖にパドルアウト。海から開発の反対を訴えたのだった。そう、個人競技で、個人的世界観をレスペクトするサーフィンは、しばしば行動を一にして姿勢を示すことが苦手だった。でもこんなやり方なら、サーファーらいしやり方で、抵抗感なく、みんなで行動できるのではないか。そんな風に思わせた。
ビーチレベルで見ると、すごい迫力。しかし別の記事で掲載されたドローンの空撮で見ると、「え?こんだけ?!」…というくらい、海は広い。そう、人間たちのちょっとした行動なんで、海の広さや問題の大きさに比べたらちっぽけなものだ。
4.サーフィンから自然を学ぶ僕たち
しかし一度海に人間の手を入れたら、自然はもう帰らない。そのことを知っているのは、愛する海が開発の対象として選ばれてしまった、そのビーチのローカルサーファーや、コアビジターに違いない。海の環境、観光開発、漁業振興、減災と防災。自然環境との釣り合いはとても難しい問題だ。基本的には、それぞれの地元のコミュニティが決めていく問題で、僕たち外来者が口を挟むことではないのだろう。しかし、日本はいよいよ人口が減る。国庫も潤っていない。大きは方向性としては、積極的開発よりも、維持管理のためのお金のかからない、自然との共存を追求すべき方向にあるのだと思う。
ロブ・マチャドは、訪日ドキュメンタリーの中で、こう述べている。「日本国土の30%は整備されていて、残り70%は本当に美しい。手つかずの自然がまだ残っているのだ。そして整備されている30%の空間は無駄無く活用されている。」(詳細は:『ロブ・マチャドから見たニッポン』3.11東日本大震災ドキュメンタリーサーフフィルム)
まだまだ美しい自然が残る日本。しかし、いまもって開発の手がそれらを脅かしつつある。辺野古の埋め立てや、奄美大島ビーチの護岸工事の話が頭をよぎる。それぞれに開発の意義があるのだろうが、割り切れない思いが胸を痛める。
・最後のジュラシックビーチ奄美大島・嘉徳海岸を全長530m 高さ6.5mの護岸建設工事から救おう!
一度海に人間の手を入れたら、自然はもう帰らない。そのことを知っているのは、サーファーに他ならない。僕たちは日々、サーフィンから自然を学んでいるのだから。
5.手遅れになる前に
僕たちサーファーにもできることがある。海の恩恵に預かっている分、社会的責任がある。そして果たせる役割がある。そういう中で、先ほど話題に出したオーストラリアのユニークな「パドルアウト・デモ」は、僕たちの気持ちを連帯させる、可能性を持ったアクションに映った。僕たちはサーフィンを通じて体感した自然の素晴らしさから、自然の姿を残すことの重要性を主張できる。サーファーのエゴではない、地球環境の立場から意見を言える存在になるときが来たのではないかと思う。
身近なビーチの問題に、小さなアクションを。すべてが手遅れになる前に。
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この記事を書いたライター
NAMINORI TOM
トリップ好きが転じてアフリカ専門家となり、三ヶ国目となる西アフリカ・ギニア湾岸に在住。サーフィン歴25年。元ロングボーダーだが、アフリカ行きのために板をどんどん短くし、現在は超ミニフィッシュ専門。サーフライターとして、アフリカ・サーフィン事情、海の環境や開発、サーフトリップなどを素材に、レアな情報、インスパイヤーされた経験、共感につつまれた出来事などを文字にして発信している。
・ブログ→なみのりとむのサーフィン・サファリ日記
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