パイプラインで命を落とした父から愛とスキルを受け継ぐ女性サーフフォトグラファー アンバー・モゾ
ライター: Miki
ハワイノースショア出身、24歳のアンバー・モゾ(Amber Mozo)。アンバーは、パイプラインで撮影中に頭を打ち命を落とした伝説のウォーターフォトグラファーである父のジョン・モゾ(Jon Mozo)から、そして海から愛情を注がれて育った。
父のジョンは、力強くリーフに打ち付ける濃く青く透き通った波や、その波に果敢に挑むサーファー達など、見る人が息を呑む美しく迫力のある写真を撮り続けていた。今回はそんな偉大な父から愛と技術を受け継ぎ、優れたサーフフォトグラファーへと成長したアンバー・モゾのインタビューをお届けします。
水中写真を撮るきっかけは父の死
カメラを始めたキッカケと影響を与えた物は?
アンバー:「2005年私が9歳だった頃、父はパイプラインで撮影中、33歳という若さで命を落としてしまったの。その時から亡くなった父が使っていたそのカメラで、写真を撮ることを始めたわ。父のカメラは沢山のカメラギアと一緒に、ずっと家のリビングに置いてあった。」
「9歳の頃、初めてカメラを触った時は将来プロカメラマンになるなんてまったく思っていなかったわ。当時は美しいハワイの自然や大好きな海、そんな生活の一部を撮って自分のTumblrブログに載せてただけ。それから10年以上経った今でも好きな事をカメラに収めてみんなに共有している。私が育った環境であるハワイと海が1番のインスピレーション。写真を撮ることを通して、海で遊んで海から学んでいるわ。」
カメラを片手に世界中を旅し、壮大な風景やサーフブレイクを撮影してきたアンバーだが、2018年の冬までは彼女の父の命を奪ったパイプラインに入って写真を撮ることはなかった。そんな彼女は2018年にノースショアサーフカメラマン、ザックノイルの指導の下、RedBullとコラボしてドキュメンタリー“Forgiving Pipeline” (パイプラインを許すこと)を作成した。
ザック・ノイルは父ジョンとの繋がりが深く、自身のキャリアを開始する時にはジョンから中古のハウジングを購入。ジョンが知識をノイルに伝えたのと同じように、ノイルも知識をアンバーに伝えた。間接的に父から娘への予期せぬレッスンとなったのだ。
パイプラインでアンバー・モゾを指導するザックノイル
アンバー:「パイプラインで撮影をしたのはそれから今まででもほんの数回だけど、物凄い場所だわ。私にとってパイプラインはとても意味のある場所だし受け入れないといけないことが沢山ある。パイプラインの波はもの凄くうるさくて、パワフルで美しい。パイプラインに入ると自分の存在がとても小さく感じて恐ろしくも感じる。」
ウォーターフォトグラファーの楽しさは?
アンバー:「海の中で写真を撮る事は大変だから満足のいく写真が撮れた時は凄く嬉しいし、もっと撮りたいと思わせてくれる。海ってどんな写真が撮れるか、波、天気、その場所にいる人によって変わってくるから予想もできないし、それがまた楽しくてワクワクさせてくれる。」
アンバーにとって完璧な1日はどんな日?
アンバー:「ハワイの家にいる時が一番好き。晴れた日に姉妹と犬とビーチで過ごす事。サーフィンをしてビーチでピクニック。こういう日が私の心を豊かにしてくれるの。」
「パイプラインでの撮影に命を懸ける価値があるならそれは素晴らしいこと。父は最後亡くなる瞬間、幸せだったはず。それに気付けて私も幸せな気分になれたわ。」
女性サーフフォトグラファーのアンバー・モゾのドキュメンタリー映像“Forgiving Pipeline(パイプラインを許すこと)”は以下よりどうぞ。
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この記事を書いたライター
Miki
元外資系客室乗務員、中東に住みながら世界50カ国以上飛び回る生活を送る中、バリでサーフィンに出会い人生激変。海の近くに住み毎日サーフィンが出来る環境を求めて現在はオーストラリアに住んでいます。
・Instagram→ @eatmore.gelato